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首都ダッカはバングラデシュの中心地にあたり、人口約1千2百万人の都市です。
イスラム教寺院のモスクとモスリン織りとリキシャの街として長く旅行者を魅了し続けてきたこの地は、ベンガル地域のムガール総督によって1608年首都となりました。旧市街地は現在オールドダッカと呼ばれ、当時を彷彿とさせる狭い路地とリキシャの波には人々のエネルギーを感じることが出来ます。ビジネスの中心地はモティジール地区であり、日曜から木曜は忙しい場所です。
ダッカのウォーターフロントはブリゴンガ川岸のショドルガット。ここには漁船から蒸気船まで、あらゆる船を目にすることが出来ます。ガンジスデルタの水路を通じて全国へとつながっています。一方、道路ではカラフルなリキシャが街に鮮やかな色を添えています。
678年ムガール皇帝の息子、モハマド・アザム王子によって建てられました。この要塞は1857年の独立戦争の際、英国に対して反乱をおこした人々によって250人の兵士がここに押し込まれました。敷地内にある主要な建物はモニュメントやパリビビ廟、ラールバーグモスク、オーディエンスホール、ハマム(浴室)などで、見応えがあります。
日本とイギリス製のタイルで飾られたモザイクスタイルのかわいらしいイスラム教寺院は、女性も見学可能です。
タイルの中には日本の富士山のデザインもあります。
ダッカのブリゴンガ川沿いに建つ、ピンク色の堂々とした建物は領主ナワブ氏の邸宅であった。宮殿としてデザインされた建物は1982年に修繕され、博物館に生まれ変わりました。
天井の高い31の部屋数があり、ナワブ氏によって使用された家庭用品が展示されています。
ベージュ地に赤いラインのシンプルなダケシュリ寺院は、バングラデシュ最大のヒンズー寺院です。毎年10月頃に行われるドゥルガープジャ(ドゥルガ神の祭)には多くのヒンズー教徒が訪れます。この寺院には大きなドゥルガ神の像が飾られています。
このモニュメントは1952年2月21日に起こったベンガル語言語運動の犠牲者を祭った、バングラデシュ人の象徴ともいえるモニュメントです。この日は現在、国際母国語の日として知られており、毎年2月21日午前0時より献花が行われ、様々な文化プログラムが行われています。
国立ダッカ大学の科学部学舎として現在も使用されている、レンガ造りの英国調建物は市役所として1904年に完成したものです。
1976年8月29日に亡くなった革命的な詩人カジ・ナズール・イスラムは、この地に眠っています。墓地は国立ダッカ大学内中央モスクに隣接しています。
1983 年現在の場所に移行した4階建ての国立博物館は絵画等の美術品はもちろん、伝統的なノクシカタ(キルト)などバングラデシュならではの展示物を通して、文化・歴史を学ぶことができます。
パキスタンからの開放運動を支えたフリーダムファイター達が使用した物や、解放運動時の貴重な写真なども飾られている博物館です。バングラデシュの歴史を知る上ではかかせない場所と言えます。
オープンスペースもあり、フリーダムファイターの話を聴くイベントも行われています。
独特な建築で有名なアメリカ人建築家ルイス・カーンによってデザインされた国会議事堂はその近代的な建物のまわりは湖で囲まれ、広々とした芝生の中にそびえ立っています。
ダッカから約35kmのシャバールにある独立記念塔は建築家モイヌール・ハッサンによってデザインされました。この塔は1971年の解放運動の際に亡くなった名も知れない無数の犠牲者を祭ったものです。
「黄金の都」という意味のショナルガオンはかつての都。水運がよいため、綿製品の輸出港として栄えていました。この地域の領主の家が博物館として公開されています。ダッカから車・バスで約1時間です。
農業中心で生活している人々が殆どで、バングラデシュ農業大学がここにはあります。少数民族ガロが生活しています。ヒマラヤ山脈の東端に位置し、インドのメガロヤ国境にも接しています。